鳥山明

鳥山明が逝去した。2024年3月8日。

仕事の休憩に入り、スマホを開いた途端目を疑った。けれど、驚いたのはその一瞬だけで、スヤスヤと眠りについた後に午後の仕事を始めた。先輩にこの件を伝えると「まじか〜笑」と穏やかな反応。私もそうだった。

しかし、仕事が終わり家に帰って自分の時間が生まれたことで、喪失感がジワジワと押し寄せてきた。大切なものを、いや、あまりにも大切なものを失った気がする。鳥山明現代日本における歴史であり文化そのものだった。

鳥山明の活躍を知らない世代はいないだろう。デビューして40年も第一線で走り続けた。『Dr.スランプアラレちゃん』『ドラゴンボール』『ドラゴンクエスト』。代表作が多すぎる。どれをとっても、ジャンルそのものを変革させた。

彼の影響は日本だけでなく、世界中に広まっている。世界から見て日本といえばドラゴンボールの国なのである。世界各国の大使館や外相が哀悼の意を示しているのがその証明。現フランス大統領マクロンさえもだ。https://x.com/emmanuelmacron/status/1766053155270225954?s=46&t=gI2Iwkx7NmIuoivmlogsUA

 

私は今年24歳だが、物心がついた頃からドラゴンボールドラゴンクエストが身近にあった。近所のTSUTAYA(レンタルバッグが明るい紫色だった頃)でDVDを借り、家族で鑑賞していた。トランクスがセルにボコボコにされるシーンは子供ながらに衝撃だった。

どんなシーンを切り取っても最高の漫画だった。

ドラゴンクエストもそうだ。小学生の頃はDSでリメイクされたシリーズをやりまくっていた。456は母親とセーブデータを分けて、攻略本片手に楽しんだ。7は母のお下がりプレイステーションで、キーファで絶望した。9は学校で流行りまくっていたが何故か触れなかった。家庭用ゲーム機以外にも、ゲームセンターに『ドラゴンクエストバトルロード』というカードゲーム筐体があった。1プレイ100円で、カード1枚と試合ができる。休日は弟と200円を持って、自転車でイトーヨーカドーまで通い続けた。

私の人生に鳥山明の思い出が多すぎる。

いまだに実感が湧いてこない。

けれど、この感情は永遠に残り続ける。私にとっても、日本人にとっても、世界中の人にとっても。ご冥福をお祈りします。