そごう千葉店にてバッグを購入した

千葉県民には馴染みの深いそごう千葉店。度々閉店の噂が流れるが、なんだかんだしぶとく生き残っている百貨店である。

馴染みの深いといっても、それは40代以上、もしかしたらそれ以上の年代にとっての話だ。私のような20代は名前を知ってはいるが、お世話になることはあまりないだろう。それは悲しいことに、私の周りだけかもしれないが。

 

さて、購入したのはこちらのトートバッグ。f:id:TheStruggle:20240406133519j:image

ではなく、プレゼント用の白い肩がけバッグである。写真は撮っていない。ブランドはFURLA(フルラ)。このお店ではないが、以前から懇意にしているブランドで、プレゼント選びで迷ったらとりあえずここにしている。

私はフルラの落ち着いたデザインが堪らなく好み。ブランドの主張を抑えつつもブランドの存在感を如何なく発揮している。値段も高すぎず安すぎずで、所有感を満たされる。デザインだけならプラダも好みだが、私には高すぎる。

冒頭のトートバッグは、店員さん曰く男性も使える、むしろ男性にお勧めという商品。女性ラインだからこその、内ポケットの多さやジッパー付きという利便性が男性にはピッタリなのだと。そして、ハンドル部分は付け替えができるらしく、黒色から青色にして良いアクセントを生み出している。プレゼント用に買っていなかったら、これを自分用に買っていたかもしれない。

そして、フルラ千葉そごう店でプレゼント購入を決めたのは、素晴らしい接客をしてくれた店員さんから買いたいと思ったからだ。「売りたい」気持ちが走ってしまう店員は日々目にするが、「良さをアピールしたい」気持ちを出す店員はあまりいない。客は、良さをアピールされて購入を決意するものである。私はまんまと乗せられてしまったが、とても気持ちの良い買い物ができた。また余裕ができたら、自分のご褒美に何か買いに行こう。

シャウエッセンの焼き加減

シャウエッセンの焼き加減がわからない。

日本一知名度のあるウィンナー、シャウエッセンの焼き加減がわからない。

これはフライパンで中火でコロコロ回しながら焼いた例のブツ。ここまで焼いてから食べたが、アツアツというほどではない。

付け加えれば、これは一本食べた後にぬるさを感じ、焼き直したものである。シャウエッセンを一発で適温に焼き上げることは、休日のひと時に見合わない莫大な神経を用いざるを得ないだろう。

僕はただ、美味しいシャウエッセンを食べたいだけなのに。

鳥山明

鳥山明が逝去した。2024年3月8日。

仕事の休憩に入り、スマホを開いた途端目を疑った。けれど、驚いたのはその一瞬だけで、スヤスヤと眠りについた後に午後の仕事を始めた。先輩にこの件を伝えると「まじか〜笑」と穏やかな反応。私もそうだった。

しかし、仕事が終わり家に帰って自分の時間が生まれたことで、喪失感がジワジワと押し寄せてきた。大切なものを、いや、あまりにも大切なものを失った気がする。鳥山明現代日本における歴史であり文化そのものだった。

鳥山明の活躍を知らない世代はいないだろう。デビューして40年も第一線で走り続けた。『Dr.スランプアラレちゃん』『ドラゴンボール』『ドラゴンクエスト』。代表作が多すぎる。どれをとっても、ジャンルそのものを変革させた。

彼の影響は日本だけでなく、世界中に広まっている。世界から見て日本といえばドラゴンボールの国なのである。世界各国の大使館や外相が哀悼の意を示しているのがその証明。現フランス大統領マクロンさえもだ。https://x.com/emmanuelmacron/status/1766053155270225954?s=46&t=gI2Iwkx7NmIuoivmlogsUA

 

私は今年24歳だが、物心がついた頃からドラゴンボールドラゴンクエストが身近にあった。近所のTSUTAYA(レンタルバッグが明るい紫色だった頃)でDVDを借り、家族で鑑賞していた。トランクスがセルにボコボコにされるシーンは子供ながらに衝撃だった。

どんなシーンを切り取っても最高の漫画だった。

ドラゴンクエストもそうだ。小学生の頃はDSでリメイクされたシリーズをやりまくっていた。456は母親とセーブデータを分けて、攻略本片手に楽しんだ。7は母のお下がりプレイステーションで、キーファで絶望した。9は学校で流行りまくっていたが何故か触れなかった。家庭用ゲーム機以外にも、ゲームセンターに『ドラゴンクエストバトルロード』というカードゲーム筐体があった。1プレイ100円で、カード1枚と試合ができる。休日は弟と200円を持って、自転車でイトーヨーカドーまで通い続けた。

私の人生に鳥山明の思い出が多すぎる。

いまだに実感が湧いてこない。

けれど、この感情は永遠に残り続ける。私にとっても、日本人にとっても、世界中の人にとっても。ご冥福をお祈りします。

日曜日の放埒

先週の日曜日は放埒に明け暮れた一日だった。

放埒と言っても、酒や女に溺れていたわけではない。それ以外に言葉が思いつかなかっただけである。

 

一日の始まりは書店だった。週末、職場のビンゴ大会でQUOカードをいただいたので、それを元手に豪遊しようと意気込んでいた。

書店散策は一人より誰かと一緒の方が楽しいので、友人Kを誘い船橋ジュンク堂へ。

千葉では津田沼丸善と雌雄を決する巨大書店であるが、ここで書籍を買うのは初めてだった。

まずは友人の書籍選びである。QUOカードを手にした私は羽振りが良い。文庫一冊を奢ることにした。友人が手に取ったのは湊かなえの『未来』。友人は生粋の湊かなえファンなのであった。

次に私の番。まず安部公房『飛ぶ男』。2024年は氏の生誕100周年で新潮社が張り切ってフェアを開催している。生誕〜年にはあまり興味がないが、氏の遺作ということ、作品のあらすじに惹かれ買うことに決めた。

それから種村季弘『驚異の箱』。これはただただ面白そう。幻想文学好きの私にはたまらない。最近まで氏の名前を存じ上げなかったのだが、SNSでの澁澤龍彦論争の流れで、興味を持ったのである。

最後に高峯一愚『カント講義』。非常に有名なカント解説書である。カントに憧れる者として、これは読まなければならない。その前に原典をあたるべきだということは、私も承知している。もう少しだけ遠回りさせてください、カント大先生。

 

書店を後にし、マクドナルドで昼食をとった。いつ、何を食べても美味しい。

 

次は浦安のマンション街を抜け、海沿いの公園へ。気持ちの良い風景。ここに住めたら幸せだろうな。友人はギターを弾く。私は寒さのあまり小走りで円を描き続ける。終わらなければよいのに。

 

私が寒さにギブアップする頃には日が暮れ始めていた。車に駆け込み、鼻をかみ、地元へ向かう。出口で駐車料金を払い忘れていたことに気がつき、急遽Uターン。ここの駐車場にはロック板も停止バーもなかったのである。こんな治安の良い街があってたまるか。住まわせてくれ。駐車料金は100円だった。なんなんだこの街は。

 

ドタバタしながら地元への帰路で友人Yを誘い、三人で近所のバルへ。ここのバルは何を食べても美味しい。嫌いなものさえ美味しく食べられる。

 

すべてのありきたりな日常に感謝を。

哲学の常態化

哲学に触れていると、正確には哲学史や哲学者に触れてみると、「こいつら当たり前のことしか言ってないな」と感じることが多々ある。

 

その理由はなんだろう。ぼんやりではあるが、二つ候補が見つかった。

 

まず、現代社会が"哲学"という巨大で豊穣な土地の上に成立したというもの。アリストテレスだのカントだのニーチェだの、そうした巨人たちが提唱していたものが一部であれ全体であれ、固定観念と化したのではないか。

「巨人の肩に乗る」とはよくいったものである。

 

次に、日本人であること。現代まで、哲学=西洋という式がアプリオリなものとして成り立っていた。アジアにもインド宗教や中国思想があったにも関わらず。西洋中心主義は外見だけでなく思想にも根をはっていた。

近年はそれに批判が挙がり(著名な西洋人が発端だった気がするが思い出せない)、2020年にはちくま新書から『世界哲学史』シリーズが出版されている。編集者の面々が恐ろしいので是非手に取って欲しい。私はまだ三巻までしか読んでいないのだが、空海の章は必読である。

 

話がかなり脱線したが、つまるところ西洋哲学者たちの議論は西洋でしか通用しないものであるため、日本に持ち込まれたところで「だから何?」となるのである。

 

以前、哲学に興味がある友人にカントのコペルニクス的転回について語る機会があった。結果は散々で、自分でも説明を放り投げたくなった。

もちろん、私の勉強不足が一番の要因であることに疑いはないのだが。

 

というわけで、哲学の常態化について書いてきました。私は哲学者の原典にあたったことはないし、歴史についても詳しくはない。そのため、誤った見解である可能性が大いにあるが、そこは"哲学をした(自分で思考した)"ということで、目をつぶっていただければ私の心が安まります。

有楽町から日本橋

友人と近代化の地を闊歩。
韓国映画『梟』鑑賞。世子(王位後継者)暗殺現場に居たのは盲目の鍼医。犯人探しが行われるけれど、盲目なのは悪事から目を背ける関係者たちも同じ。見て見ぬフリをする強さ、見て見ぬフリをしない勇ましさ。損得勘定ではなくて、利他的な選択ができれば彼らの暗中模索にも救いがあるのかな。韓国映画は面白い。主演が柄本佑に似ているし。

日本橋三越では瀟洒な喫茶店ウィーンでザッハトルテとユリウスマインルカフェのセットを。ザッハトルテもユリウスなんとかも知らなかったけど(そもそも紅茶を頼んだはずなのに)、美味しかったからそれで良い。

会話は『ボーはおそれている』『哀れなるものたち』の感想を経て、精神の意義と在処について。わからない。フロイトでも読めばいいのか、それともヘーゲルか。自分に不足しているものが多すぎる。知識も経験も感性も。

仕事をしている場合ではない。けれど、それを言行一致できないのが自分の弱さ。夢を持っているのに現実にしがみついている。なんとか踠き続けなければ。