TheStruggleの日記

筒井康隆と村上春樹が好きです

筒井康隆全集4 時をかける少女 緑魔の町

短編

①悪夢の真相

少女がトラウマと向き合う話。心理学を積極的に取り入れようとしている印象。

②時をかける少女

タイムリープの能力を得た少女が真相を突き止めようと奮闘する話。ど王道。ラベンダーの香りが恋しくなる。

③かいじゅうごみぃの しゅうげき

ゴジラをゴミでパロディした児童向け短編。

④うちゅうを どんどん どこまでも

子供が宇宙船に乗って宇宙の果てまで行ってしまう掌編。

⑤地球は おおさわぎ

石が意思を持つドタバタ劇。

⑥闇につげる声

エスパー中学生たちが仲間の危機を救う。嫌な後味が残るが、面白い。

⑦果てしなき多元宇宙

世界線がシャッフルされ元の世界が恋しくなる話。

⑧赤ちゃんかいぶつ ベビラ!

赤ちゃんが大きくなって大暴れする話。

⑨白いペン・赤いボタン

選択肢の答えを教えてくれる白いペンを手にした高校生が金儲けをしまくる話。とても面白い。

⑩超能力・ア・ゴーゴー

勉強しか能がない高校生がモテるために脳手術を行い、音楽の才能が開花するハチャメチャな中編。現実に生きることが一番大切だと教えてくれる。ラストがつらい。

⑪暗いピンクの未来

画家志望の高校生が未来に飛ばされ、デザイナーになった自分と出会う時間系中編。未来のデザイナーと機械技師(今で言うAIか)の論戦は、現代(2026年)を完全に予知していたのではないかと思わせるほどの的中ぶり。論戦、小説ともに見事な落としどころをつけており、筒井康隆を天才たらしめている。本書における白眉である。

 

長編

⑫緑魔の町

表題作の長編。地下に閉じ込められた少年が地上に出ると、自身の存在がなかったことにされていたカフカ的小説。徹底的に苛め抜かれる少年。心理描写にかなりドスが効いていて、読むのに精神をすり減らした。

 

解説

今江祥智

渋谷周辺散歩

友人と渋谷周辺を散策した。ことのきっかけは、友人からの映画の誘い。会う時は毎回これだ。

毎回さまざまな映画を提案してくれて、僕がその中から観たい映画を選ぶ。同時に、行くエリアも決まるのである。

今回は渋谷駅近くのヒューマントラストシネマ渋谷にて『関心領域』を鑑賞。f:id:TheStruggle:20240601231451j:image

公開前から相当話題に挙がっており、劇場も満員であった。肝心の内容だが、全く記憶にない。つまらなかったわけではない。ほぼ寝ていたのである。友人から誘われた手前、寝る前にもいかないので、何とか目を開けてはいたが、僕の脳機能は停止していた。覚えているのは、上映されてから数分間スクリーンの目の前で立ち見をしていた謎のカップルと、ラストシーンのアウシュビッツ資料館の映像のみである。なんということだ。

 

後悔を映画館に残して、2人は筒井康隆の家を見に行った(実際は仕事場らしい)。筒井康隆とは、作家の筒井康隆である。僕が憧れている大作家だ。なぜだか知らないが、検索すると場所がしっかり出てくるのである。そして、インタビューで先生自身もそれを楽しんでいる様子。流石に写真を撮るのは自重したが、素敵な場所に建つ素敵な屋敷だった。私にとってある種のパワースポットかもしれない。

 

その後は青山を歩き回り、表参道に戻ってカフェで休息。f:id:TheStruggle:20240601233604j:imageGoogle マップ

友人が一度落ち込んでいた時にケーキを食べにきていたフランス発祥のカフェで、紅茶にこだわりがあるようだ。そしてトイレにもこだわりを感じられる。行けばわかる。

私が注文したのはバニラケーキにほろ苦いキャラメルソースを添えた「マダガスカル」とりんご風味の紅茶のセット。f:id:TheStruggle:20240601234125j:image

これがまた非常に美味しい。そして、紅茶も3杯は飲める量で、長居するのにも嬉しい。これはとても自分好みのお店を発掘してしまった。僕が見つけたわけではないのだが。

 

2時間ほど駄弁った帰りに表参道の青山ブックセンター本店へ。訪れたのは初めてで、予想外の立地にあり、東京の空間の使い方には度々驚かされる。

店内奥では作家千早茜の満員御礼サイン会が催されており、何度も拍手が聞こえてきた。枠があれば参加したかった。個人的には、読んだことはないが、至る所で名前を目にする近年の女性作家の代表だ。他には凪良ゆうと一穂ミチが挙げられる。そろそろ最近流行りの作家にも手を出さないと、いよいよ時代に取り残されそうだ。それはそれで構わないのだけれど。

若干脱線したが、この書店の本棚は見事としか言いようがない。僕も某書店チェーンで働いていたため、そのあたりには敏感だが、配置やレイアウト、特集、品揃えなどどれをとっても文句の付け所がない。こんな棚を見せつけられて、手ぶらで帰る選択肢はない。彩みどりだが、僕が選んだのは先の筒井康隆に触発され『傾いた世界』と、友人お薦め『存在の耐えられない軽さ』である。f:id:TheStruggle:20240602001716j:image

『傾いた世界』には筒井ギャグ小編の傑作『関節話法』が収録されているため、全読書好き必読である。

 

外に出ると辺りは真っ暗になっていた。駅に向かう途中、水色の紫陽花が茎ごと道に落ちていた。誰かが切り取って、落としていったのだろう。友人がそれを拾い、表参道駅で別れる際も掌に収まっていた。あの紫陽花が枯れる前に、また彼と一日を過ごしたいものだ。

そごう千葉店にてバッグを購入した

千葉県民には馴染みの深いそごう千葉店。度々閉店の噂が流れるが、なんだかんだしぶとく生き残っている百貨店である。

馴染みの深いといっても、それは40代以上、もしかしたらそれ以上の年代にとっての話だ。私のような20代は名前を知ってはいるが、お世話になることはあまりないだろう。それは悲しいことに、私の周りだけかもしれないが。

 

さて、購入したのはこちらのトートバッグ。f:id:TheStruggle:20240406133519j:image

ではなく、プレゼント用の白い肩がけバッグである。写真は撮っていない。ブランドはFURLA(フルラ)。このお店ではないが、以前から懇意にしているブランドで、プレゼント選びで迷ったらとりあえずここにしている。

私はフルラの落ち着いたデザインが堪らなく好み。ブランドの主張を抑えつつもブランドの存在感を如何なく発揮している。値段も高すぎず安すぎずで、所有感を満たされる。デザインだけならプラダも好みだが、私には高すぎる。

冒頭のトートバッグは、店員さん曰く男性も使える、むしろ男性にお勧めという商品。女性ラインだからこその、内ポケットの多さやジッパー付きという利便性が男性にはピッタリなのだと。そして、ハンドル部分は付け替えができるらしく、黒色から青色にして良いアクセントを生み出している。プレゼント用に買っていなかったら、これを自分用に買っていたかもしれない。

そして、フルラ千葉そごう店でプレゼント購入を決めたのは、素晴らしい接客をしてくれた店員さんから買いたいと思ったからだ。「売りたい」気持ちが走ってしまう店員は日々目にするが、「良さをアピールしたい」気持ちを出す店員はあまりいない。客は、良さをアピールされて購入を決意するものである。私はまんまと乗せられてしまったが、とても気持ちの良い買い物ができた。また余裕ができたら、自分のご褒美に何か買いに行こう。

シャウエッセンの焼き加減

シャウエッセンの焼き加減がわからない。

日本一知名度のあるウィンナー、シャウエッセンの焼き加減がわからない。

これはフライパンで中火でコロコロ回しながら焼いた例のブツ。ここまで焼いてから食べたが、アツアツというほどではない。

付け加えれば、これは一本食べた後にぬるさを感じ、焼き直したものである。シャウエッセンを一発で適温に焼き上げることは、休日のひと時に見合わない莫大な神経を用いざるを得ないだろう。

僕はただ、美味しいシャウエッセンを食べたいだけなのに。

鳥山明

鳥山明が逝去した。2024年3月8日。

仕事の休憩に入り、スマホを開いた途端目を疑った。けれど、驚いたのはその一瞬だけで、スヤスヤと眠りについた後に午後の仕事を始めた。先輩にこの件を伝えると「まじか〜笑」と穏やかな反応。私もそうだった。

しかし、仕事が終わり家に帰って自分の時間が生まれたことで、喪失感がジワジワと押し寄せてきた。大切なものを、いや、あまりにも大切なものを失った気がする。鳥山明現代日本における歴史であり文化そのものだった。

鳥山明の活躍を知らない世代はいないだろう。デビューして40年も第一線で走り続けた。『Dr.スランプアラレちゃん』『ドラゴンボール』『ドラゴンクエスト』。代表作が多すぎる。どれをとっても、ジャンルそのものを変革させた。

彼の影響は日本だけでなく、世界中に広まっている。世界から見て日本といえばドラゴンボールの国なのである。世界各国の大使館や外相が哀悼の意を示しているのがその証明。現フランス大統領マクロンさえもだ。https://x.com/emmanuelmacron/status/1766053155270225954?s=46&t=gI2Iwkx7NmIuoivmlogsUA

 

私は今年24歳だが、物心がついた頃からドラゴンボールドラゴンクエストが身近にあった。近所のTSUTAYA(レンタルバッグが明るい紫色だった頃)でDVDを借り、家族で鑑賞していた。トランクスがセルにボコボコにされるシーンは子供ながらに衝撃だった。

どんなシーンを切り取っても最高の漫画だった。

ドラゴンクエストもそうだ。小学生の頃はDSでリメイクされたシリーズをやりまくっていた。456は母親とセーブデータを分けて、攻略本片手に楽しんだ。7は母のお下がりプレイステーションで、キーファで絶望した。9は学校で流行りまくっていたが何故か触れなかった。家庭用ゲーム機以外にも、ゲームセンターに『ドラゴンクエストバトルロード』というカードゲーム筐体があった。1プレイ100円で、カード1枚と試合ができる。休日は弟と200円を持って、自転車でイトーヨーカドーまで通い続けた。

私の人生に鳥山明の思い出が多すぎる。

いまだに実感が湧いてこない。

けれど、この感情は永遠に残り続ける。私にとっても、日本人にとっても、世界中の人にとっても。ご冥福をお祈りします。

日曜日の放埒

先週の日曜日は放埒に明け暮れた一日だった。

放埒と言っても、酒や女に溺れていたわけではない。それ以外に言葉が思いつかなかっただけである。

 

一日の始まりは書店だった。週末、職場のビンゴ大会でQUOカードをいただいたので、それを元手に豪遊しようと意気込んでいた。

書店散策は一人より誰かと一緒の方が楽しいので、友人Kを誘い船橋ジュンク堂へ。

千葉では津田沼丸善と雌雄を決する巨大書店であるが、ここで書籍を買うのは初めてだった。

まずは友人の書籍選びである。QUOカードを手にした私は羽振りが良い。文庫一冊を奢ることにした。友人が手に取ったのは湊かなえの『未来』。友人は生粋の湊かなえファンなのであった。

次に私の番。まず安部公房『飛ぶ男』。2024年は氏の生誕100周年で新潮社が張り切ってフェアを開催している。生誕〜年にはあまり興味がないが、氏の遺作ということ、作品のあらすじに惹かれ買うことに決めた。

それから種村季弘『驚異の箱』。これはただただ面白そう。幻想文学好きの私にはたまらない。最近まで氏の名前を存じ上げなかったのだが、SNSでの澁澤龍彦論争の流れで、興味を持ったのである。

最後に高峯一愚『カント講義』。非常に有名なカント解説書である。カントに憧れる者として、これは読まなければならない。その前に原典をあたるべきだということは、私も承知している。もう少しだけ遠回りさせてください、カント大先生。

 

書店を後にし、マクドナルドで昼食をとった。いつ、何を食べても美味しい。

 

次は浦安のマンション街を抜け、海沿いの公園へ。気持ちの良い風景。ここに住めたら幸せだろうな。友人はギターを弾く。私は寒さのあまり小走りで円を描き続ける。終わらなければよいのに。

 

私が寒さにギブアップする頃には日が暮れ始めていた。車に駆け込み、鼻をかみ、地元へ向かう。出口で駐車料金を払い忘れていたことに気がつき、急遽Uターン。ここの駐車場にはロック板も停止バーもなかったのである。こんな治安の良い街があってたまるか。住まわせてくれ。駐車料金は100円だった。なんなんだこの街は。

 

ドタバタしながら地元への帰路で友人Yを誘い、三人で近所のバルへ。ここのバルは何を食べても美味しい。嫌いなものさえ美味しく食べられる。

 

すべてのありきたりな日常に感謝を。

哲学の常態化

哲学に触れていると、正確には哲学史や哲学者に触れてみると、「こいつら当たり前のことしか言ってないな」と感じることが多々ある。

 

その理由はなんだろう。ぼんやりではあるが、二つ候補が見つかった。

 

まず、現代社会が"哲学"という巨大で豊穣な土地の上に成立したというもの。アリストテレスだのカントだのニーチェだの、そうした巨人たちが提唱していたものが一部であれ全体であれ、固定観念と化したのではないか。

「巨人の肩に乗る」とはよくいったものである。

 

次に、日本人であること。現代まで、哲学=西洋という式がアプリオリなものとして成り立っていた。アジアにもインド宗教や中国思想があったにも関わらず。西洋中心主義は外見だけでなく思想にも根をはっていた。

近年はそれに批判が挙がり(著名な西洋人が発端だった気がするが思い出せない)、2020年にはちくま新書から『世界哲学史』シリーズが出版されている。編集者の面々が恐ろしいので是非手に取って欲しい。私はまだ三巻までしか読んでいないのだが、空海の章は必読である。

 

話がかなり脱線したが、つまるところ西洋哲学者たちの議論は西洋でしか通用しないものであるため、日本に持ち込まれたところで「だから何?」となるのである。

 

以前、哲学に興味がある友人にカントのコペルニクス的転回について語る機会があった。結果は散々で、自分でも説明を放り投げたくなった。

もちろん、私の勉強不足が一番の要因であることに疑いはないのだが。

 

というわけで、哲学の常態化について書いてきました。私は哲学者の原典にあたったことはないし、歴史についても詳しくはない。そのため、誤った見解である可能性が大いにあるが、そこは"哲学をした(自分で思考した)"ということで、目をつぶっていただければ私の心が安まります。